開運鑑定師:堀江喜楽斉のプロフィール

鑑定師プロフィール

占い鑑定数 2000人以上

 

中華街占い館や各種イベントで、鑑定を多数行う。

 

主な占術 干支九星術 周易 タロット(ウェイト版) 

 

横浜綱島で、開運鑑定と東洋占い「干支九星術」が学べる教室を運営。

プロフィール概略

堀江です。

 

こちらで自己紹介をさせていただきます。

 

最初にプロフィール概略、次に詳細をお伝えします。

1964年9月24日生まれ。

 

てんびん座で、血液型O型。

 

兵庫県の尼崎市南塚口町出身。

 

(七五三の時。隣は妹です)

好物はすし(マグロ:赤身)とめん類。

 

手ぬぐいとペンギングッズ収集が趣味です。

 

関西大学文学部英文科を卒業した後、プログラマー、営業(施工販売)営業と転職を重ね、管理栄養士になりました。

 

 

 

この頃は、本当にやりたい仕事は何だろう?と自問自答する時期でしたね。

 

管理栄養士になったのは、親父の影響でしょう。

 

親父は私が小学生の頃、慢性腎炎になり、人工透析を行っていました。

 

食生活が重要なんだということを、身近に感じていたからでしょう。

 

 

 

横浜の小児病院や保健所、高齢者施設、総合病院といくつかの職場に勤めました。

 

その頃、最初の結婚と職場の人間関係に打ちのめされ、父親の危篤も重なりました。

 

パニック発作と自律神経失調症になり、会社は4か月の休職。

 

会社を退職せざるを得ず、結局離婚もしました。

 

 

 

自宅で一人、発作と不調、不安に押し潰されそうな、暗黒の日々。

 

当時、メグライアンとトムハンクス共演の映画「Sleepless in Seattle」(邦題:めぐり逢えたら)をレンタルビデオショップで借りて、毎日泣きながら見るだけの日々が、ずっと続きました。

 

 

 

その後、ご縁ありまして大阪の小学校に採用され、地元に戻りました。

 

実家でお袋と同居を始め、代替医療で心身を整え始めました。

 

鍼灸に整体、カウンセリング等を受けました。

 

その結果心身は少しずつ回復して、すっかり元通りに。

 

健康のありがたさを、心の底から実感しました。

 

 

 

そして、母親の急死・・・。

 

たった一度しかない人生、後悔せずにやりたい事をやろう、と。

 

2012年4月から横浜に戻り、起業しました。

 

 

 

本格的に占いの勉強を始め、干支九星術(かんしきゅうせいじゅつ)を習得。

 

占いの先生のススメもあり、教室と鑑定を始めました。

より多くの方が「モアベター」な人生を送れるようになって欲しい。

 

運勢の強弱を知り、吉を呼び込み凶をはねのける開運法とともに。

 

あなたも家族も笑顔いっぱいの毎日が送れるようになってください。

 

 

 

お読みいただいて、本当にありがとうございました。

 

私のことをさらに詳しくお知りになりたい方は、以下をご覧ください。

 

(かなり長文なので、お時間のある時に読まれることをおすすめします)

プロフィール詳細

前半は基本データ、後半は鑑定士になるまでの過程を書いています。

 

(2024年4月現在)

 

 

 

●基本データ

 

身長175センチ、体重61キロです。

 

血液型O型(両親ともO型なので:調べてません)

 

1964年9月24日生まれ。

 

バツイチですが、4歳年下の妻と再婚19年目。

 

 

 

家族は5歳年下の妹がいます。

 

親父は2001年、お袋は2011年に亡くなりました。

 

妹は夫を早く亡くし、娘との二人暮らしでしたが、娘がこの度結婚して独り暮らしです。

 

 

 

●家族

 

父は島根県益田市生まれ。

 

柔道で、オリンピック強化選手の最終選考に残ったようです。

 

高校卒業後、陸上自衛隊や松下電器の技術職など様々な職業を経て、運送会社のトラック運転手に落ち着く。

 

私が小学校2年生のころ腎臓を患い、後に人工透析を開始。

 

透析中にくも膜下出血にかかり、意識不明に。

 

19日後の2001年11月25日に死亡。

 

享年64歳。

 

 

 

母は兵庫県丹波篠山出身。

 

高校の頃、陸上部中距離で当時の大会記録を出したらしい。

 

高校卒業後、デパート店員をしていた頃、父と知り合い結婚。

 

病に倒れた父と家族を支え、長年事務員として勤務。

 

2011年10月28日、突発性の心停止により死去。

 

享年74歳。

 

 

 

妹は、本当は2人いるはずでした。

 

最初の妹、由紀子は、生まれて半年で亡くなりました。

 

次に生まれた妹は、高校卒業後事務員として勤務。

 

現在は警備関係会社で事務職員として働きながら、一人暮らしです。

 

 

 

妻は東京八王子出身。

 

現役の薬剤師。

 

アロマセラピストであり、最近はハーブの講師をしています。

 

 

 

妻とのなれそめは、知り合いのヒーラーさんから紹介されたこと。

 

中国武術の馬貴派八卦掌を学ぶため、東京に行った時に知り合いのヒーラーさんに声をかけました。

 

東京に行く前日に「私、都合悪くなったから行けないわ。知り合いの女性を紹介するね」と。

 

それが今の妻です。

 

 

 

妻と知り合って、結婚するまでに会ったのは3回。

 

遠距離でしたから、毎月の電話代は4万円超えてました。

 

 

 

●人柄

 

勤めていた時は「渋谷さん優しいね」とよく言われていました。(本当です)

 

年齢を言うと、ビックリされて「もっと若いと思ってました」とも(本当ですって)

 

 

 

●モットー

 

ハートにしたがい、フロー(流れ)に乗る

 

 

 

●プライベート

 

無料動画サイトで、女子プロテニスの動画を見る。

 

(男子テニスはボールスピードが早すぎて、楽しめない)

 

氏神様の篠原八幡神社に、ジョギング参拝する。

 

 

 

●好きな言葉

 

人間万事塞翁が馬

 

一番軽いものが、一番遠くまで飛ぶ(自作)

 

 

 

●性格

 

人見知りしない(でも、社交的ではない)

 

外国籍の人と遠慮なくコミュニケーションできる

 

(英文科卒ですが、英語はあまり通じない。でも会話に不自由したことはない)

 

我慢強い(と思っています)

 

マイペース(集団行動は苦手)

 

頼まれ上手ですが、断り下手でもあります。

 

細かいところに気がつく(と思っています)

 

 

 

●趣味

 

ペンギングッズ収集(JR東日本のSUICAマスコットペンギンがお気に入り)

 

和柄中心の手ぬぐい収集

 

ミュージカル観劇(妻の仕切りで)

 

 

 

●好きな食物

 

マグロの寿司(赤身)

 

子どもの時、マグロだけで17皿、34鑑食べて父に呆れられました。

 

めん類(蕎麦やパスタ系、好きです。作るのも得意)

 

 

 

●好きなヴォーカリスト

 

エンヤ、セリーヌ・ディオン、サラ・ブライトマン、井上陽水、吉井和哉

 

 

 

●好きな女優・モデル

 

メグ・ライアン、ヘレン・ハント、夏目雅子、山口小夜子

 

 

 

●愛読書

 

東洋医学や代替医療、ヒーリング全般を「広く深く」読みます。

 

マーケティングやブランディング関連の本も大好き。

 

(中小企業診断士の勉強していたこと、あります)

 

 

 

●好きな色

 

シルバー、オレンジ、ゴールド、チョコレートブラウン。

 

 

 

●好きな飲み物

 

ほうじ茶、妻特製のハーブティ

 

京都一保堂の炒り番茶も結構好き。

 

コーヒーは飲めません。

 

紅茶なら1日1杯位なら飲めます。

 

昔は大酒飲みでしたが、今は1滴も飲みません。

 

 

 

●好きな場所

 

明治神宮(明治神宮オタクです) 

 

 

 

●長所

 

好奇心旺盛

 

●短所

 

いろんな事に頭を突っ込み、時々抜けなくなります(笑)

 

 

 

●好きなこと

 

サポートすること・健康に関すること・家庭料理

不思議大好き、時々もみほぐし

子どもの頃から、不思議大好き少年でした。

 

小学生の頃から「月刊ムー」や「たま」「フィリ」などいわゆるスピリチュアル系の雑誌を定期購読していました。

 

「ムー」の巻末特集にあった、霊体離脱を真剣に試したり。

 

そのせいか、何度か金縛りになって困ったこともあります。

 

今はまったく大丈夫ですけど。

 

 

 

子どもの頃、近所のオジサンたちに、もみほぐしを頼まれたことも懐かしい思い出です。

 

主に親父の知り合いでしたが。

 

 

 

学校から戻り、テレビを見ていると「ほら、オジサン来たからもんであげな」とお袋から声がかかりました。

 

素直な私は言われるがまま、近所のおじさんの肩をもみ、背中を指先でギュッギュッと押さえました。

 

 

 

『あ~キク~、気持ちええわ。君にもんでもらうと身体が軽くなるんや』

 

 

 

私はもちろん、ツボや筋肉の知識もありません。

 

何となく「気になる」部分をもんだり、指先で押したりしました。

 

指で押す強さや角度は、子どもなりにこだわっていたとは思います。

 

 

 

振り返ると、その頃から感覚は鋭かったようです。

 

私の能力は、占いの先生に教えてもらい、確信になりました(生年月日でわかります)

 

 

 

子どもの頃から「あいつヘンやな、変わったヤツ」とみんなに思われていました。

 

自分でもそう思っていました(笑)。

 

それで自己嫌悪になったことも。

 

鑑定士になって、ようやく自分の能力を受け入れることができたと実感しています。

公務員を2度捨てた男

大学を卒業後、都内でプログラマーを1年、地元で営業を9か月やりました。

 

英文科卒なのにプログラマーになって、仕事はまったくわからず10キロ以上やせてしまい、地元に戻りました。

 

お袋のコネで営業をやりましたが、その頃から「天職」について考え始めました。

 

 

 

一生をかけて取り組むべき仕事って何だろう?

 

 

 

東京で体調を崩して退職したことを「負けて帰ってきた」と勝手に思っていたので、そのリベンジをしたかったのかも。

 

親父が腎臓病で人工透析になったこともあり、食を通じて健康づくりをしたい、と思いました。

 

保健所の栄養士になれば、その夢が叶えられると思ったのです。

 

 

 

営業を辞めて専門学校に入学、栄養士の資格を取って横浜市に採用されました。

 

その後、管理栄養士の国家資格を取り、念願の保健所で管理栄養士として働きました。

 

他にも高齢者施設、病院で勤めました。

 

 

 

横浜市に勤めて10年目、職場のパワハラや親父の急死、最初の結婚の破たん(別居婚でした)などが重なり、体調を崩して退職。

 

恩師の紹介で大阪府の採用試験を受け、採用されました。

 

実家に戻り、親父が亡くなってうつ状態になったお袋と同居しながら、大阪府の小学校で給食管理をしました。

 

平行して鍼灸治療を受け、体調はすっかり元通りに。

 

 

 

そんなある日、お袋が急死したのです。

 

 

 

「人生どうなるかまったくわからないな。一度しかない人生やりたいことをやって、後悔がないように生きたい」

 

 

 

妻にも理解してもらい、大阪府を退職。

 

横浜に戻り、起業しました。

押し出されるように、鑑定士になる

手探りで働きながら、本格的に占いの勉強を始めました。

 

昔から占いに興味はありましたが、なぜか地元で勉強する気にはならず。

 

「横浜に戻ったら、周易を学びたい」と思っていたくらいです。

 

ところが、最初に勉強したのは干支九星術ですから、ホント人生ってやつはわからないもので・・・。

 

 

 

干支九星術を知ったきっかけは、故杉山勲先生です。

 

故杉山先生は、地元兵庫でお世話になった鍼灸師の恩師です。

 

 

 

『堀江君、占いに興味あるの?ならば干支九星術オススメだよ』

 

「かんしきゅうせいじゅつ?ですか?」

 

『九星を用いて、十二支を重視する占いだ。あれはよく当たるよ。開運法もあるから、救いがある』

 

 

 

素直な私は早速ネット検索。

 

干支九星術の教室をされていた先生を見つけ、通い始めました。

 

並行して、周易の勉強も始めました。

 

 

 

干支九星術の先生は、とても早口。

 

一番前の席に座り、耳をダンボにして講義に聞き入りました。

 

 

 

一通り鑑定できるようになった頃、お客様と占いの勉強をしている話をすると『それなら、先生占ってみて下さい』と言われました。

 

しばらくして、鑑定の予約が入り始めました。

 

どうやら、鑑定が当たって、口コミ紹介が入り始めたようです。

 

鑑定例をまとめ、先生に個人アドバイスをいただく日々が続きました。

 

 

 

ある日「堀江さんは、仕事場があるんでしょ?そこで本格的に鑑定や教室をしたらいいよ」と言われました。

 

あれよあれよという間に、私が鑑定や教室をするドアがパタパタと開きました。

 

起業する時に思った「一度しかない人生、後悔しないでやりたいことをやろう」を、もう一度実践しよう、と。

 

 

 

メジャーリーガーの大谷選手は、二刀流と言われています。

 

私は、彼は2つのことー投手と打者(外野手)ーをやっている自覚はない、と思います。

 

彼はただ、プロの野球選手をやっている、と思うのです。

 

 

 

私は仕事と占い、どちらかが優先、と思っていません。

 

どちらも必要で、どちらもお客様の役に立つものだと。

 

 

 

ご縁のある方に、干支九星術で吉を呼び込み凶を避ける機会を持っていただきたい。

 

この尊い占術を身に着け、人々を開運に導くことができる鑑定師が一人でも増えることを心より願っています。

 

鑑定を通して、選択の連続である人生を、迷うことなく最善最高の道をまっすぐ歩けるようになっていただきたいです。

 

 

この辺で自己紹介を終わらせていただきます。

 

 

 

超長文におつきあいいただき、本当にありがとうございました。